HOW MY DEMONS LOOK
自分を壊してきたのも彼らなら、生かしているのも彼らで、それは最も屈辱的なことだった。
頼ることが嫌いで、しかし生きるためには頼らざるを得ないという矛盾で、無理して税金を払い続けたり、本当に不器用な生き方をしてきたと思う。そのプライドの高さとか不器用さが本当に嫌いでバカだと思うし、同時にそのようにしか生きられない私への絶望がある。たぶん天国の誰かが私を見ていたとしたら相当にもどかしい人生を送っているんじゃないかな。確かに理屈としては、私は頼ったっていいし、格好悪くてもいいはずだった。しかし私の自立したいという欲望が黙ることはなく、助けてもらうことで自分の無力感を味わうのが嫌なのだ。なんなら、助けたい人なのに助けられるという皮肉がとても意地悪に仕組まれている。依存したいようでしたくないという矛盾が苦しみの一つだ。自力と他力のバランスが難しい。
この歳までは生きようと思ってきた年を越え、気がつけばスピリチュアルに生かされている今。好転はしているのだろうが、解消されたわけでもない。延期はしたものの、それは暫定的な判断に過ぎなくていつもプランBにある。それが鬱というものだ。若くて綺麗な内に死んだ方がいいんじゃないかという囁きが消えないのは、それしか私の価値がないと思っているからだ。そうは分かっても、死ぬことの方が楽に思えてしまうときがある。それを悪魔のせいにするのは簡単だ。結局この場合の根本的な死因は不安である。実際には死んだとて、後悔するのだろうし、死が解決になったかは疑問だ。死というのはこの不可逆性が最も悩ませるポイントで、ちょっとあの世を見てきて何かを学んで帰って来られたらどんなにいいトリップだろうか。その里帰りはたとえば瞑想なんかがめちゃんこ上手くいけば果たせるだろうか。究極的には、存在すること自体をやめたいのだが、宇宙はそれを許さない。何かしらの形で次元で私は存在し続けてしまう。私には終わりがない。法則の中に閉じ込められている。分離したいとか分離しているという思いを持つこと自体が繋がっていることの証明だ。全てがokなのだから自己嫌悪や自己否定をする必要もないと、(ある意味してもいいのだが) 学んだものの、うんざりする自分と、自分に対する愛着の狭間にいる。この歪(いびつ)な心を受け止めることが愛なのだろう。
ネガティブな体験ばかりの人生を送ってきている人は、否定するものが多いのだと思う。こうしちゃダメだとか。ああやらなきゃダメだとか。反対に、豊かに幸せに生きてる人は否定するものが少ない。ネガティブビリーフが少ないのだ。
不安が如何に厄介なものであるかを私が証明している。結局のところ、世界の全てを怖がっている。これがすべて夢ならば好きなように動けるはず。怖いものなしのはず。
もしも何も否定されずに、all ok と言われて育ってきたとしたら、私は何をしただろう? 何に向かっただろう?
これは私みたいな人間に有効な質問だと思う。
しかし私はたぶん焦っているのだ。何か大きなことをしなきゃいけないとプレッシャーをかけて追い込んでいるのだろうか。それとも、単にひよっているだけで、行動しないことの言い訳にしているのだろうか。分からないことだらけだ。ずっと、意味の分からない人生を生きている。
「受け取りモード」とエイブラハムは言う。私がやる必要があるのは、望みを打ち消すようなネガティブビリーフを取り除くこと。瞑想もやってみるしかないかな。全部を許していくことであらゆる可能性を許すことにもなるだろうから。
ああちょっと心がニュートラルになってきた。ただ、いつも躊躇してタイミング逃すからそのままに書いてみたものの、面白い記事ではなかったね。タイトル詐欺かも。実際の曲 (doja cat 『demons』) の意味とは全然違うんだけど、好きなフレーズだから使ってみた。はぁ、考えすぎかな。黒歴史なんて腐るほどあるよ。葉っぱ隊だよね。ちがうわ、テリーとドリーの『生きる』だ。私はもっと自由で制限のないステートで生きたい。
✴︎
以前はこう思ってた。ぼくがお金を持っているからとか、利用できるからと思って近づこうとする相手とは絶対に友達にならないって。そう、ぼくは好きでもないやつとは友達になるもんかって。だけど、お金って、多分ぼくの一部なんだ。たぶん、それがぼくなんだ。自分と自分が持っているものの間に違いがあるんだろうか。たぶん、違いはない。そう考えるようになってからは、好かれる理由は気にならなくなった。(後略)
/ p. 85 デイヴィス
「この島は騒音であふれている――」ウィリアム・シェイクスピア 『テンペスト』:
もしぼくがぼくでなかったら、彼女はぼくを好きになるだろうかと考えてもしょうがない。仮定自体がばかばかしい。だけど、ぼくが言いたいのは、もしこの体と心のまま別の人間、それも貧しい人間になったら、彼女はぼくを好きになるだろうかということだ。だけど、そうなるともちろん、ぼくはぼくじゃなくなる。他の誰かになってしまう。(後略)
/ p. 198
『どこまでも亀』ジョン・グリーン著
turtles all the way down, tatwd, john green
Comments
Post a Comment
Leave a comment